三 紫宸殿の怪異

 

 時は下って、仁平三年(一一五三年)。
 頼政は先の二月で五十歳となり、美福門院への昇殿を許されていた。
 表立った派手な勲功はないものの、その忠実な働きぶりと歌壇での活躍をもって鳥羽院の信頼を勝ち得たのである。
 天皇、上皇の寵愛を受ける姫のうち、院号を与えられたものを女院と呼び、彼女たちの権力は上皇と同等のものとされた。宮中の門の名前を冠された彼女たちには、上皇に倣って院庁を置き、別当・判官代・主典代その他諸司を任じ、殿上を定め、蔵人を補すのである。
 美福門院とはすなわち頼政が後ろ盾とした鳥羽院の寵姫・藤原得子へ宣下された院号であり、彼女の住む院御所の名であった。
 近衛帝の母として皇大后位にあり、村上源氏、中御門流の公卿に派閥を形成する美福門院はいまや鳥羽院政における最大の実力者と言って過言ではない。その元にあって頼政の地位は、摂津源氏を率いるに確かなものとなったのである。
 しかし、頼政の気は晴れない。
 武官としての昇殿と共に、これまで踏み入ることを許されなかった宮中の深くまで出入りをするようになった頼政は、門院御所のそこかしこから、じっと窺うような視線を感じ続けていた。
(門院御所ともなれば、人の出入りも多かろう。まして新顔の俺が注視されるのは仕方のないことのはずだ)
 そう考え、努めて気にせぬようにしてきた頼政だが、時を経ても頼政を窺うような視線はなくならない。それらが門院に媚びる者たちや、反対に彼女を邪魔に思う公卿たちの注視であると気付くのに、そう時間はかからなかった。
 昇殿ののち、頼政の滝口武士としての宮中警護の役目はさらに重要性を増したが、それと比例するように頼政の名は広く知られ、宮中の政争に組み入れられることとなったのである。
 そして同時に、頼政は美福門院の良からぬ噂を聞くようになった。いわく、鳥羽院を誑かす毒婦。いわく、国を傾ける悪女。
 ――美福門院こそが、人心を惑わす女狐であると。
 彼女がそう評されるだけの理由は、確かにある。たとえば、鳥羽院には元々正妃の待賢門院藤原璋子が居たが、彼女は美福門院を呪詛したとの嫌疑にて出家に追い込まれている。これは確かな証の無い風説の類であったのだが、美福門院はこれを最大限利用して政敵たる待賢門院を宮中より追放したのだ。
 他にも縁戚関係の公卿を集めて政治派閥を形成し、養子とした娘を入内させ藤原摂関家の政争に関与するなど、美福門院の策謀を窺わせる事例には枚挙にいとまがない。女だてらに国の政を左右する様は、なるほどそのような悪評を呼ぶにふさわしいものであった。
(俺を拾ってくださった方だ。疑うようなことはできぬ。――だが)

 あの女は狐だ。
 食い殺されぬように、精々気をつけろ。

 紅子の言葉は、年を増すごとに頼政の心に深く食い込んでいた。
 まこと、宮中とは魔窟である。陰謀渦巻く宮中の混沌たるや、頼政の想像を絶してなお深く、暗い。ひとつの判断の過ちが一門全てを滅ぼしかねぬ重責は、慎重な頼政をしてなお神経を削られるものであったのだ。
 不比等の娘を名乗る彼女との出会いが、摂津源氏と美福門院との結びつきを断たんとしたいずこかの勢力の画策であったのか。或いはただの気の触れた娘の出まかせであったのか。今となっては定かではない。
 あれから頼政は何度となく紅子の行方を探させたが、その足跡は遥としてつかめず、ついにその真意を確かめることはできぬままだった。
「嫌な空だな」
 今宵も宮中は暗い。頼政はうんざりとして空を振り仰いだ。帝のお住まいである清涼殿の屋根を覆うかのように分厚い黒雲が渦巻き、空には星ひとつ見ることができなかった。妙な肌寒さを伴って西寄りの風が吹く。みやこを覆う黒雲は、ここ十日ほどまるで晴れる様子を見せぬ。
 澱む空は、まるで今のみやこの混乱を象徴しているかのようだ。
 故に、そのような噂が流れ始めたのも必然であったかもしれぬ。
「――のう、聞いたかの、あの話」
「なんと、そちも聞いたのか」
「そう、それよ。あのばけものの噂じゃ」
「は、は、は。なにを馬鹿な。大方どこぞの臆病ものが風の音でも聞き間違えたのだろ」
「いな、これを聞いたというのはかの中御門の某という御方」
「帝も御気分がすぐれぬという。これはますます真実やもしれぬぞ」
 その出所も知れぬ、怪しげな噂であった。
 夜な夜な、宮中を脅かす不気味な鳴き声があるというのだ。ひゅおうひゅおうと、嘆き悲しむ悲哀の叫びのごとき声が、渦巻く黒雲と共にいずこかより現れ、みやこの夜空を不気味に鳴くという。その鳴き声の恐ろしきことには、勇猛で鳴らした北面の武士たちですら次々に倒れるほどであり、ついには帝までご気分を害することになった――というものだった。
 こうして晴れぬ重苦しい空も、この怪しき鳴き声の主、得体の知れぬばけものが呼び起こした瘴気と黒雲に覆われているためであるのだという。
 まったく馬鹿げた話であった。しかし世に満ちた不穏の種を感じ取ったからだろうか、この鳴き声を聞いたという者は宮中、市井を問わずに後を絶たなかった。いつしか御所の屋根に止まる、怪物の姿を見たという噂まで流れ始める始末である。
 これを真に受けた公卿も少なからずいたらしい。形なきものを恐れるなど頼政にしてみれば呆れた話であるのだが、常日頃、憎き政敵を呪詛し合うような間柄とあっては、この恐るべきばけものはより身近に感じられたのかもしれない。
 頼政をはじめ、宮中を守る武士達には、警備を厳しくせよと通達が繰り返された。
 しかし姿形すら定かではないばけものを寄せ付けるなという命令こそ無茶な要請である。できることと言えば見張りの人員を増やし、警邏巡回の間隔を狭める程度だった。それで網にかかるのは、不穏な世の乱れを格好の機会とばかりに盗みを働くこそ泥やら、鬱屈した気晴らしに無軌道に暴れる若者、あるいは喰いつめてみやこに流れ着く流浪の民ばかり。
 肝心かなめのばけものの姿は、捕えるどころかなおも茫洋として、黒雲の中に隠れたままであった。
 頼政達の奔走は噂を消すには至らず、迷信深い公卿たちはますます恐れを深くしていった。いったい武士どもは何をしているか――そう、口がさない貴族たちは殿上から夜な昼なと陰口を叩く。それは滝口武士として宮中の警護を預かる摂津源氏、頼政への非難としても向けられていた。
「まったく……役に……」
「……門院も……なぜ……のような」
 今日もまた、すれ違い様に無遠慮に頼政の顔を覗きこみ、ひそひそと囁き交わす貴族たちが足早に通り過ぎてゆく。
「口を開けばばけものの話。皆、我等の働きが足りぬと言わんばかりです。……まったく忌々しい」
 頼政の隣でうんざりと吐息するのは頼政の息子、仲綱である。今年で二十七、ついこの間まで腕白に父を困らせていた少年は、いまや立派な摂津源氏の嫡流であった。仲綱は頼政に従って早くからみやこに馴染み、父に倣い歌にも励んでいた。いまは摂津源氏の次代を率いる武士として衛府の守護の役目にある。
「仲綱」
「は……失礼しました」
 頼政は静かに咳払いをし、息子をたしなめる。この場にあっては、貴族たちの叱責に言い返すのは得策ではない。
 事実として、怪しき鳴き声の主を突きとめることは叶わず、頼政達はみやこの空を脅かす脅威を排除できてはいないのだ。その一点をもって武士たちを役立たずと評することは、彼ら貴族の立場からすれば当然の態度であるのだろう。聡明とはいえまだ若い仲綱には、親子揃って能無しと囁かれることは我慢のならぬことであったろうか。
「仲綱。お前の気持ちも分からんではないが、堪えろ。ここはそういう場所だ」
「……はい」
 ぜんたい、この平安京にあって、武士たちの最大の悩みは、貴族たちの戦への無理解であった。弓馬の扱い、陣の組み方、行軍のすべ、兵站の保ち方。それらの総合である兵法とは高度な知識に基づく専門技能である。この時代の兵法はほぼ、大陸の貴重な兵書を研究・解析することで得られるものであり、それを可能にしているのは頼政ら、限られた一部の武士たちだけだった。
 貴族たちは故事の政談や歌にこそ深い知識を持つものの、実際に武力を動員するために何が必要なのかを詳しく理解している者は少なかった。律令によって政治祭祀が戦と分かたれて三百と余年。平安の世が過ぎ、藤原の姓に代表される貴族たちはただ狭い宮中を安寧に治めることにのみ執心し、その外に目を向けることはまずない。
 みやこの秩序を司る彼等にとって、頼政達は走狗、物言わぬ刃と同じだ。ひとたびかれを捕えよと命じれば、それを着実にこなす。公家にとって武士はそれが出来て当然の道具であり、それが出来ぬのは無能である。獲物を前に斬れぬなまくらな刃は役立たずであり、あろうことか刃のほうが斬りたくないと言いだすなど在ってはならぬ常識なのである。洛中の異変を討てと命じた貴族たちにとって、それができぬ頼政達が誹りを受けることは必然なのだった。
 ゆえに、頼政のように一門を背負って立つ棟梁は、出世によって相応しい地位と教養を身につけ、後ろ盾となる人脈の構築に努めねばならなかったのである。
「父上。……父上はどうお考えですか」
「何がだ」
「ばけものの事です。……いえ、そのようなもの、居はしないというのは私にも分かります。しかし、いまや郎党の者たちにも、怪しげな影を見たと言う者が出始めているのはご存じでしょう。不要な噂に踊らされぬよう、授や省にも言い付けましたが、このままでは本気にする者が出るのは時間の問題でしょう」
「……件のばけものとやらが、帝を悩ませているという話だったな」
 吐息と共に頼政は眼を閉じた。
 噂がただの出鱈目だと断じられるのならば対処もあろう。しかし、あの鳴き声が聞こえ始めて以来、近衛帝が病に伏せりになり、御気分がすぐれぬままであるというのは事実であった。験あらたかな高僧を呼び寄せ、秘法を持って加持祈祷を繰り返しているものの、一向に効果がないという。毎夜、東三条の森から吹き寄せる黒雲が御寝所である清涼殿まで届くと、帝は大層怯えて、起き上がることもできぬという。
 やはり我慢がならぬと言うように、仲綱は拳を握りしめる。
「それも、帝をお守りする我等の怠慢であると、面と向かって悪罵を垂れる者まで出ています。父上、私にはそれが悔しくてなりません。居もしないものをどうして仕留めよというのでしょう。私にばけものの姿が見えさえするなら、この手で討ち取ってみせるものを」
 歯軋りをする息子に、頼政は静かに吐息した。
 功を焦る若い志は、言い換えれば情熱的な上昇思考だ。決して悪いものではないだろうが、今からこの調子で、果たして息子は宮中の老獪な公家たちに踊らされずにいられるのだろうかと。仲綱は摂津源氏の嫡流、やがては頼政に代わって一門を率いていく立場なのである。
「言いたいものには言わせておけ。俺たちは御役目の手を抜かずに尽くせばいい。それだけのことだ」
「ですが、父上!」
「……仲綱」
 またも声を荒げる息子に釘を刺し、頼政は口元の髭を撫でる。人前ではみっともないと思い、昇殿を機会に止めようとしたが、どうにも抜けぬ癖となっていた。
「お前までそのようなことを言い出すな。郎党たちが動揺する。いたずらに騒ぎを広げるのは、俺達のすべきことではないだろう」
「……申し訳ありません」
 うなだれる息子に、頼政はやれやれと首を動かした。
「討たねばならぬばけものなど、もうこの世に残っておらぬさ。そんなことは皆知っている。だがな、無理だろうと俺たちはそれをせねばならぬのだ。……誰も彼も、明日がどうなるか不安を胸に抱えている。何か起こるのではないかと怯えているからそのようなものを見るのだ」
「では父上は、帝のお具合が悪いのもそうだと仰るのですか?」
 頼政の物言いは、確かに帝を蔑にすると捉えられてもおかしくない。見れば供に連れてきた郎党たちも仲綱と同じような顔をしていた。やはり彼等も、心のどこかで妖しきばけものの実在を信じているのかもしれない。
 しばし思案し、頼政は問い返した。
「ふむ……ひとつ聞くが仲綱、お前は怪物の姿をはっきりと見たものを知っておるか? 授、省、お前たちはどうだ。直接見ておらぬでもいい、伝え聞いたというだけでも構わぬ。その恐ろしいばけものとやらの、姿かたちを教えてくれ」
 問われて仲綱は授らと顔を見合わせるが、確かにその場に誰も、件のばけものの姿を答えられる者はいなかった。皆が皆、誰それが言っていた、あいつが見たという話を聞いた。それだけだ。
「そういうことだ。お前達が聞いておるのは噂に過ぎぬ。はっきりとその姿を見たというものが居るのなら、その姿形はもっと明瞭に広まるものだ。誰もそのようなものは見ていない。ただ、己のうちにある怖れが溢れ出しただけだ」
(もっとも、その怖れこそが、一番多く人を殺すものだが、な)
 敢えて続きは口にせず、頼政は仲綱と郎党達に向き直る。
「力を余らせ、武を振るうものは、往々にしてその力を披露出来ぬことを窮屈に感じるものだ。ゆえに、それを余すことなくぶつけることのできる、恐ろしいばけもの、ただ害を為すだけの悪鬼や妖怪にいて欲しいと思ってしまう心がある。
 ……世の中と言うのは、複雑で面倒なものだ。それらを一息に解決することは難しく、少しずつ、退屈な努力を重ね、時間をかけ対処していかなければならない。それを怠けようとする心が、慢心や驕りを、見えぬ相手に押し付けて、ばけものとするのだ」
 そんな雰囲気は頼政の身内だけではなく、いまや宮中全体に蔓延しているようだった。
 だが、こいつを殺せば万事解決、退治すればすべてまるく収まるというばけものなど、今の世には存在しない。世の問題の実際は全て人が成すものである。
「仲綱、あの声は虎鶫の鳴き声だ。昔、下総の山の中では良く聞いたものよ。空が雲で塞がれておるとな、あのように不気味な声が良く響く。それだけのことだ。だが俺たちはそれを取り除かなければならんのだ。無理は承知の上でな」
 恐れこそがなによりも人の不和を招く。恐怖を育てるのは、その正体を知らずにいるからだ。
 頼政はこうして度々、不満を訴えてくる郎党たちを収めたが、宮中を満たす噂は日に日にその数を増していった。
 昼夜を問わず分厚い雲が空を覆い、一向に日は姿を見せぬ。その有様は確かに異様ではあった。口がさないものの中には世の終わりではないかと言い出すものまで出る始末であった。
 三条猪熊に邸を構える、左小弁源雅頼が頼政のもとを訪ねたのはそんな折のことだった。
 この男、一見頼政と同じ源姓をもちはするが、そもそもの「源」が異なる。頼政の摂津源氏も義朝の河内源氏も遡れば清和帝の系譜にあるが、雅頼の源は村上源氏。すなわち村上帝より分かたれた宮中貴族である。
 彼の父は白河院の寵愛篤き〝薄雲中納言〟源雅兼。書や学問を受け継ぎ故事典礼に詳しく、宮中では朝儀にも意見を求められる重鎮である。雅頼も若くして太政官の左少弁にあり、やがて父雅兼の地位を継ぐことは確実であろうと噂されていた。
 顔を白く塗り黛を付けた、いかにも貴族然とした装いは、摂津で渡辺党の荒武者とも接する頼政の好むところではなかったが――まるこい顔、目と口をまるで細い線にしたかのような造作は良く目立ち、妙な愛嬌の良さと相まって、みやこ風の美男として愛されていた。
 雅頼の来訪は夜更け、しかも事前の報せからもほとんど間を置かずの急なものである。いかな名門とは言え、あまり常識的なものとは言えない。
(あるいは、それだけ緊急の用事ということか……?)
 ほとんど面識のない相手だったが、わざわざ訪ねてきた相手を無碍にするわけにもいかず、頼政は近衛御門大路の邸宅にて雅頼を出迎えた。
「このような夜更けに突然、お邪魔して申し訳ない。頼政卿に至急、お伝えせねばならぬことがありますゆえ、ご無礼お許しあれ」
「……いえ」
 親子ほども歳の離れた頼政を前に、雅頼は慇懃に頭を下げる。元々糸のように細い目をさらに細め、女御のように袖で口元を覆う笑みは、どうにも頼政の好みではない。
「さて、このように毎夜空も晴れず、気の巡りも澱むばかり。まこと不快な日が続きますな。それ、見るも恐ろしき妖しき黒雲、気味の悪い風が続くこと。摂津源氏の長、頼政卿ともなれば物ともせぬのでありましょうが、私のような者には恐ろしくてたまりませんよ」
「ご謙遜を、雅頼殿」
「いやいや、まことの事でありましょう。まったく、陰鬱なことこの上無い空模様。帝もすっかりお塞ぎになり、お伏せりになったままと聞きます。おいたわしいことですなぁ」
 わざとらしく声を上げて一頻り涙ぐみ、雅頼はゆるゆると首を振った。
「頼政卿。名に聞く摂津源氏の長である貴卿であれば、夜な夜な世を騒がす怪異の噂、お聞き覚えと思いますが」
「雅頼殿もそのお話を持ち出されるか。……帝のお心を悩ませる怪異、晴らす術を見つけることができず不甲斐ないばかりであります。お叱りは受けましょう。
 ……が、我等摂津源氏、渡辺党一門を上げて、寝食を惜しんで宮中の警護に励んでおります。事実、何名もの不審が怪しげな振る舞いに及ぼうとしたものを事前に召し捕りました。雅頼殿がそれをご存じないとは思えませぬ。それとも雅頼殿、我等が意図して警備を怠り、怪異が帝を脅かすのを見過ごしたと申されるか」
 その通りだとするなら、酷い難癖であった。
 幾多の勢力が権力闘争を続けている宮中では、些細なことを理由に責任を問われ、地位や官位を失う危機と隣り合わせた。しかし、実際に居もしないばけものを指して、それを見逃した責任を取れなどと、それはあまりにも道理が通らぬものではないか。
「故事に通じた左少弁殿が、世を脅かすばけものが居るなどという風説の流布に、積極的に加担されるおつもりか」
 それは頼政とても看過できぬ部分だった。一門を率いる主として、ここで院の信頼を失う事は、一族郎党の没落を意味する。怒りをあらわにする頼政に、雅頼はまるこい顔で両手を広げ、心外だとばかり大仰に肩を竦めてみせた。
「否、否。お待ちくだされ、頼政卿。私どもも摂津源氏の皆さま方の腕は存分に存じております。まあそういきり立たずにお耳をお貸しくだされ」
 手招きをして見せる雅頼。言葉こそ丁寧を取り繕っているが、二十も年上の頼政を呼びつけるものであり、言外に自分はお前たちとは違うのだという矜持が滲み出ている態度であった。
「聞くまいとすれども、件の噂は嫌でも耳に届いて参ります。ましてこのように曇り続き、一向に空も晴れず、鬱々と気が塞ぐのも当然と言えましょう。ただでさえ新院を唆す悪左府の振る舞いは目に余るばかり、関白様も帝もお心を悩ませております。そのお痛ましきこと……。
 そのような中で板挟みにされ、頼政卿がお疲れになるのも仕方のないことでありましょう。ですが、私どもとてただの棒杭ではありませぬ。いかにこのみやこを満たす鬱屈を晴らさんものかと、知恵を絞っておるのですよ」
「すると雅頼殿、あなたはこの夜を乱す怪異を見つけ出し、晴らすすべをご存じですかな」
 いまだ憤りを押さえることはできず、なかば、揶揄を込めての物言いだったが――雅頼はそんな皮肉をさらりと受け流し、大きく頷いたのである。
「然り。今日はその算段を付けに参りました」
「なんと」
 まさか肯定されるとは思いもよらず、頼政は目を丸くする。およそ博学で知られる雅頼の口から、真面目くさってばけもの退治の話が出るなど完全に予想外であったのだ。
「ここから先は内密の話となります。どうか、口外なされぬよう」
 雅頼はゆっくりと頼政ににじり寄り、声を潜めた。
「頼みというのは他でもない。頼政卿にはこのみやこを騒がすばけものを、射ていただきたいのです。なに、そう難しい事ではありますまいよ。ばけもの退治となれば、源頼光の酒呑童子討伐以来、辟邪の武たる摂津源氏のお手のものでありましょう。かの八幡太郎義家様は、堀河帝の御世に紫宸殿に住まうばけものをその涼やかなる弓の鳴弦で払ったではありませぬか。それに並び称される弓の業前をお持ちの頼政殿をもってすれば、容易いこと。否、いかなばけものとても射殺せぬはずがない。……そうでありましょう?」
「……些か、話が見えませぬな」
 頼政にはそう唸るのが精一杯だった。不穏な方へと転がってゆく話を押し留めることができない。底知れぬ不安だけがみるみる膨らんでゆく。
 これが藤の蔓、皇の大樹に絡みつき、絡め取る支配の姓だ。
 嫌な汗が背中に浮かぶ。頼政の胸中などお構いなしと、雅頼はさらに身を乗り出してきた。白粉の塗りたくられた顔が間近に迫る。糸のように細い目は、頼政を捕えて離さない。
「左様、射殺せぬはずがないのです。他の猪武者には出来ぬお話なのですよ。宮中にその名を知られ、門院の覚えめでたき摂津源氏の頼政卿でなければなりません。貴卿ほどの名の知れたお方であれば、間違いなくばけものを仕留め、帝のお心に平穏を取り戻してくださることでありましょう」
 さも上手い方便だと言わんばかりに、ゆっくりと繰り返す雅頼。
 帝を謀ると平然と言ってのける彼の目に底知れぬ闇を覚え、頼政は内心で戦いた。
(――これが、この国の中枢に居座る力か)
 頼政は戦慄した。
 いつの間にか、自分は逃れられぬ場所に足を踏み入れてしまったのだ。このみやこに古きより絡まる藤の蔓は、知られずに己の脚にも這い登り、あらゆるものを引き寄せ巻き込む。

 ――あれは皇の大樹に絡み付く藤の蔓。己一人では立てぬ脆弱ないきものだ。蜜に魅かれた者達を残らず絡め取り、食らい尽くす。

 いつかの忠告が頼政の脳裏をよぎった。
 今日の来訪は突然なものでも、雅頼の独断でもなかったのだ。雲の上の駆け引きの中、念入りに準備された大きな計画のひとつなのだ。
 誰が、何のために、どうやって――。そのいずれも頼政にはまるで見当もつかぬ。
 この国を、三百年以上に渡って支配し続けてきた相手――頼政がいま対峙しているのは、その長きに渡る因習であった。
「雅頼殿、昔より朝家に武士を置くのは逆族を討ち、勅命に背く者を滅ぼすため。目に見えぬ怪異変化を退治せよなどと命じられたこと、いまだかつてないはずです」
 胸中の動揺を押し隠して答えた頼政に、雅頼は余裕たっぷりに首を振った。
「いやいや。頼政卿、実利を取ってお話いたしましょう。つまり、ばけものなど実際に居らずとも良いのです。源氏の誉れ高き貴卿の弓が、その因となる怪異を討ち払ったことが確かに知らしめられれば、それで十分。
 この空の荒れが急な冷え込みと秋風によるものであることは、陰陽寮の天文博士達によって既に明らかです。数日の後に南の地で明けに雨、遠からず雲は晴れましょう。なれど、帝はいつまたあの不気味な鳴き声のばけものがやってくるのかと、怯えておはすことになる。それはまったく宜しくない。
 頼政殿には、その不安を射て頂きたいのです。皆を悩ます、漠然とした不安。それに形を与え、祓うのです。なに、古きより行われた祭祀と何の違いがありましょうか。帝の御心が晴れるのであれば、その弓、滝口武士として振るうことにまさか異論はありますまい。帝のお心を案じておられる美福門院様も、これを快く受け入れてくださいましたよ」
「…………」
 頼政は思わず歯噛みした。その名を出されてはもはや退路はない。
(嵌められた……のか)
 門院にまで話が回っているとは――いや、雅頼がここにやってきた時点で、それに気付くべきだった。苦々しくも苦渋を噛み締め、頼政は己が誤っていたことを痛恨の思いで受け止める。これは藤原摂関家による高度な政治的画策だ。あるいは鳥羽院すら了解の上かもしれぬ。
 賢しくも殿に昇り、政に口を挟むようになって、頼政は己が思い上がっていたことを痛感した。そも、神代より続く宮廷で、四百年にも及び権謀術数を巡らせる彼等の弁舌に、主流より外れた源氏の末風情がかなうはずもなかったのだ。
 それでも。一縷の望みをかけ、頼政は抵抗を試みる。
「雅頼どの。我等を買ってくださるのは有難いことでありますが、前陸奥守にあやかるのであれば、俺の名は場に合わぬでしょう。河内源氏の嫡流の為義殿――あるいは、義朝殿が居られる。お二方を差し置き、俺が独断でそのようなお役目を受けるとあっては……」
 先年、義朝は坂東より戻り、鳥羽院の北面武士としての活動を始めていた。かの地での十年はあの少年を逞しく成長させていたとみえ、いまや義朝は上総御曹子の名で知られる押しも押されもせぬ河内源氏の嫡流である。父・為義に代わって下野守に任じられ、同時に従五位下にも叙せられたばかりである。なにより、八幡太郎源義家から見て、為義は直系の孫、義朝は曾孫にあたる。頼政の摂津源氏よりよほど近しい関係だ。
(……すまぬ。為義殿、義朝殿)
 まるで二人を売り渡すような物言いに心が咎めたが、せめてこの場は彼らに遠慮して辞すことにし、時間を稼いで対策を練ろうという判断だった。
 しかし雅頼は大仰に首を振ってみせる。
「ああ、それはいけない。いけませんよ頼政卿。仮にも帝を害するばけものを討伐するのであれば、相応の格というものが求められましょう。品性の欠けた卑しき坂東武者に、ただしき力が振るえるはずがないではありませんか。よろしいですか頼政卿、これはおぞましき悪鬼を調伏する正しき行いなのです。荘園の管理もせずに収穫を奪って我が者とし、家を潰し合って女を奪い、郎党同士で殺し合うような野蛮な連中では、とても満足に事はこなせぬでしょう」
 雅頼は暗に言っているのだ。無位無官の坂東武者が行うのではなく、摂津源氏の名門、頼政が成すからこそ、ばけもの退治の意味がある――否、その正当性が担保できるのだ、と。
「これは、帝のご意向でもあります、頼政卿」
「――――」
 駄目押しのように雅頼は告げた。その名を出されて、頼政に肯定意外の選択肢は許されない。
「そうですな――三日後の、亥の刻程がよろしい。この気候が変わるのはちょうどその頃になる。頼政殿に、その場で怪異を射て頂く。よろしいか?」
「…………。承知いたしました。……謹んで、お請けいたします」
「いやいや、そう畏まらずに。本日は内々に、あくまで私は頼政卿と世間話をしにきたのですよ。正式な通達は日を改めて、しかるべき場所から行われましょう。なに、いつもの警護と何ら変わりはありますまい。その時に確実に相手を仕留められると言う保証もあるのですから、むしろ気楽かも知れませぬな、ははは」
 からからと笑う雅頼。頼政は頭を垂れ、無言のままにそれを受けるしかない。
 否やなど、あろうはずもない。

 


◆ ◆ ◆

 


 それから日も空けずのことだ。いつにも増して陰鬱な気分で出仕のための身支度を整えている頼政のもとに、仲綱が慌てた様子でやってきた。
 困惑を浮かべながらの息子の様子に、頼政は手を止めて応じる。
「父上、どうにも怪しげなものが訪ねてきておりますが、……いかがすべきでしょうか」
「うむ? なんと申した、仲綱。誰だというのだ」
「……それが、どうも判然とせぬのです。なにやらみやこで商いを営むという、団三郎なる商人だと言うのですが、さる方からの紹介で父上にお会いしたいと申して居りまして……」
 珍しく歯切れの悪い仲綱に、頼政は眉を顰めた。
「どうした。素姓の確かでない者であれば追い返してしまえばいい。その紹介とやらが確かなもので、急を要するのであれば会おう」
「その……です。かの者は、太政官左小弁である雅頼卿の使いだと書状も携えておりまして。確かめたところ偽物ではないようでした。――ですが、どうにも風体に怪しいところも多く、どうしたものかと……」
「……ああ、良い。俺が出る」
 要領を得ない息子の様子に痺れを切らし、頼政は早々に身支度を済ませて外へ出た。郎党を呼びつけ、出仕が遅れる旨を知らせる使いを出す。どうせ大した仕事はなく、できることなら今は宮中には上がりたくない気分だったのだ
(商人、か)
 しかも仲綱曰く、雅頼の肝煎りであるという。
 みやこでは様々な品々を取り扱う商売が盛んであり、商人たちは貴族と懇意になろうと珍品名品を持ち寄って頭を下げに来るらしい。頼政の屋敷にも、頻度はそれほどではないが商人が取り次ぎを求めてくることがあった。だが頼政の所領など他の貴族に比べればたかが知れていた。郎党を養うための出費も多く、お世辞にも裕福であるとは言い難い。商売をするのであればもっと相応しい相手はいるはずである。
 しかもこんなにも朝早く、堂々と武家に乗り込んでくるとは確かに大した度胸であった。若輩の息子ではまだあしらいかねると見え、父に取り次がざるを得なかったのだろう。
(それにしても何をうろたえていたのだ、仲綱のやつは)
 ほどなく、屋敷の客間に通された件の人物と対峙して、頼政は仲綱の困惑を理解した。
「お初にお目にかかります」
 恭しく頭を下げるその男――否、彼女、である。
 雅頼の書状を手に頼政の前に進み出た商人は、驚くべきことにまだ若い女だったのだ。
「お主、女子か?」
「は。紛らわしい限りで申し訳ありませんのう。このような身で商いをしておると同業者に舐められることも多く、父の名である団三郎を名乗っております。……近衛河原の頼政様に置かれましては、どうぞお見知りおきを」
 おもねるように、しかし卑屈になることはせずに頭を下げる商人『団三郎』。
 女子であるのは確かだが、歳のころは判然としない。まだ十代とも、三十を超えているともとれる。長い黒髪を後ろに流し、格子模様の長布を襟に巻いた、見慣れぬ装いをしている。化粧気はなく眉や頬は最低限、見苦しくないように整えてあるだけだった。全体的にふくふくと丸く、口元は素直な感情を表し、穏やかな目元をしていた。
 みやこ育ちではないと見え、ところどころ粗野な様子も見えるが、高貴な者たちとも目通りを叶った事のある、ある種の落ち着きを備えてもいた。
「生国は伊予、幼い時分に越佐の海を渡りまして佐渡島へと移り住み、長らく漂泊の旅を過ごしておりました。今は隠居した父に代わり、このようにみやこの辻の屋根を借りて商いをさせて頂いております身。そのような身の上によりまして、佐渡に少々顔が効きますゆえ、このような身ながら重用していただいている次第にございます」
 佐渡は四国と並び、古くよりの流刑地である。海の果てにあるかの島は配流された朝廷の貴人や武士が今も暮らす地であった。確かに彼等の動向を探ることはみやこにとっても重要な意味を持つと思われ、商人を抱えるには良い口実となるだろう。
「実のところ、鳥羽院の歌壇に歌会の千代紙などを提供させて頂いた御縁がございましてのう」
 団三郎はどこからともなく美しい飾り紙を取り出し、見事な手つきで親子鶴を折ってみせた。その色飾りには頼政も覚えがある。
「世の騒乱は深く、一度の嵐で身代も飛ぶような時分。叶う事なら武門の大樹に寄らばと思いましてな。ご無理を承知で雅頼卿にご紹介いただき、こちらに参りました次第です」
 すらすらと、立て板に水の口上を述べる団三郎。通り一遍、紋切り型の挨拶ではなく、頼政の経歴にも触れており、歌壇への配慮も混ぜた、頼政の立場を十分に知った上でのものだ。
 なるほど、かの雅頼の紹介としては納得のいく相手であろうか。仲綱には先日の雅頼とのやり取りは知らせていない。あれは内密のものであり、ぎりぎりまで事実を知るものは少しでも少ない方がいいと判断したためである。
「成程。事情は分かった。……で、お前は俺に、いったい何を売りつけに来た?」
「雅頼卿より、頼政殿が宮中のあやしき闇を討つお役目をお手伝いいたすよう申しつかっております。此度のばけもの退治に役立てて頂こうと、頼政様のもとに魔を貫き妖を祓う矢をお持ちいたしました。どうぞ、お検めくだされ」
「――ほう」
 恭しく畏まり、差し出された絹の布包み。それを解き見せる団三郎に、頼政は思わず感嘆の声を漏らしていた。口上こそ実に怪しげなものであったのだが、それに反して彼女の差し出した矢が実に見事なものであったからだ。
 魔を討つ矢など、みやこでは詐欺の常套句だ。いかに射ても狙い過たず獲物を撃ち抜く。悪鬼を撃ち滅ぼす品である。手にしているだけで降りかかる災禍を払いのける。一度定めた標的を狙い続ける。さる高名な法力篤い僧侶が、破邪の念を込めた――そんなもっともらしい口上で、あるいは胡散臭い肩書で、形ばかり二束三文の安物を売りつける悪辣な者達は多い。また、己の腕を顧みることなく、そんなものを真に受ける武士が多いのも事実である。
 かの〝八幡太郎ゆかりの弓〟なるものを所有しているのは、今のみやこに三十人はくだらないであろうか。
 しかし、団三郎が差し出した矢は一目で名品と分かる、見事な品であった。
「矢羽根には三十三節に分かれた山鳥の尾を用い、箆(矢軸)にははるばる越佐の海を超え、佐渡は矢島にしか生えぬ、五つ節の双生矢竹を用いた、尖り矢にごさいます」
「……ふむ」
 矢は全てで五本、矧ぎは四立羽のどれも素晴らしいつくりであった。長らく弓馬の道に打ち込み、多くの弓矢に触れてきた頼政も、その出来栄えには唸らざるを得ない。
 何か不備でもあればそれを口実に断ることもできるはずであり、頼政は念を入れて確かめるが――団三郎の矢にはまるで文句のつけようがない。
(……今回の仕掛けの黒幕は、これほどのものを用意できるわけか)
 改めて自分の踏み込んでしまった場所を渦巻く膨大な権勢を感じながら、同時に頼政は、団三郎への評価も改めていた。
「双生矢竹は、名の通り必ず二本一揃いで生え、同じ数だけの節をもつ、破邪の力を秘めた竹。山鳥の尾羽は、かの坂上田村麻呂が安曇で鬼を撃った時にも用いられたものにございます。いずれもばけもの退治に相応しきものにございましょう。……おっと、頼政どのに置かれましては釈迦に説法ですかのう」
 からからと大口を開けて笑う団三郎。まるで女子らしくない振る舞いであった。機嫌を損ねればどのような目に遭わされても可笑しくないだろうに、実に豪胆な娘だと頼政は呆れる。そしてまた、どうにも憎めない、愉快な笑い声なのだ。
「鏃は腸抉か。……宮中で射るには物騒にすぎるな」
「雅頼卿におかれましては、名も知れぬ恐ろしきばけものを、万一にも狩り逃さぬようにとのことでした。貴きお方の苦しみを鎮め、あやかしき魔を払う大仕事。所詮、儂一人出来ることなど限りがありますが、精一杯手を尽くさせて頂きましたぞ」
「ふむ。いや、大したものだ。俺の腕でも扱い切れるかどうか分からぬ。……なるほどな。此度の役目、俺だけでは役足らずということか」
「なんの。儂は微力ながらお力添えさせて頂くのみ。頼政様は帝を脅かす怪異を討つわけですからのう。それに用いられる武具にも細心の注意を払って用意せよということなのでしょうな」
「大した念の入れようだ」
 おそらく碌な時間もなかったであろうに、まったく文句の付けようのない仕事である。頼政は十分な報酬を払って矢を受け取り、団三郎をねぎらった。
 なかなか見られぬ好人物でもあり、ついでにもてなそうと奥に上がるよう促したが、団三郎はそれを固辞して屋敷を去っていった。
「父上、いかがでしたか」
「なかなかの人物だったな。……仲綱、お前がもう少し若かったら、妻に取らせていたかも知れんぞ」
 いきなり婚姻の話まで振られ、目を白黒させる息子の様子に、久々に腹から笑って、頼政は満足した。
 その日のうちに頼政は郎党を走らせ、この団三郎なる商人を調べるように命じた。雅頼からの書状を疑う訳ではないが、なにしろ女の商人など、怪しげな素姓の者であるのは確かである。
 三日ほどをかけて調べさせた限り、概ね、彼女の語っていたことに嘘はないようだった。この団三郎という女、確かにみやこで商いをしているらしい。一見ではそうと気づかれぬ様に装ってはいるものの、見目良い女が男のように振舞うのは静かな評判となっていた。
 団三郎自身の不思議な魅力も手伝ってか、案外と手広い商いをしているらしい。
 彼女はどうもこの機会に頼政の摂津源氏、渡辺党の庇護の元での出世を目論んでいるらしかった。やがては平氏の六波羅殿に従う豪商・朱鼻の伴朴、奥州藤原に仕える金売り吉次のごとく、みやこに名立たる商人となろうとしているのだという。
 おおよそ女というものは大局を見据えるのには向かず、情に流され損得を見通すのは苦手と思われるが、そのような素振りは微塵も感じさせぬ。また団三郎は実に弁舌も巧みで、一刻も話しこめば十年来の親友とばかりの親しみを覚えてしまうらしい。出自ばかりははっきりとしなかったが、案外どこかの貴種の出であるかもしれないと、頼政は考えた。
「――考えてみれば、俺も女子に使われる立場であったな」
 美福門院のように権謀術数渦巻く宮中で権勢を振るう者もいる。内助の功にて夫の出世を守り立てる妻の話は枚挙に暇がない。
(讃岐もいずれはああなるのだろうか、な)
 今年十二になる娘のことを思い出し、頼政は一人苦笑するのだった。

 

 

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