序 いつまで

 

 建武元年(一三三四年)、秋。
 鎌倉の幕府が打ち倒され、後醍醐帝の元に華々しくも始まった御新政は早くも行き詰まりを見せていた。
 昨年、一五〇年ぶりに武士より政権を取り戻し、乱れた世に遍く威光をもたらす筈だった帝ご自身による親政であるが、その評判は甚だ悪い。
 建武の新政とは、腐敗した鎌倉の幕府の統治を否定し、天地とそこに生きる人々をみな帝のものへと戻す王政復古の行いである。長く続いた武士の支配に辟易していた公家たちは、これをこぞって歓迎した。
 しかし彼らは、自分たちが長らく政治の中心を離れていたことを自覚していなかった。鎌倉の統治のもとに増大した武士の権勢を理解せず、武士たちを平安の昔と同じく己の走狗として扱おうとしたのである。
 これは各所で大きな反発を招いた。鎌倉殿(源頼朝)の立志以来、武士たちには弓馬の道を修め、己の力で所領を守り続けてきた歴史がある。それはまさに一所懸命の努力。いかに朝廷の権威が再興されようとも、実質的に土地を治めているのは彼ら武士なのである。いかに帝のお言葉とは言え、今更、権勢をかさに着た貴族たちの横暴に諾と従う謂れは無かった。
 土着の武士が求めるのはなによりも実利。自身の支配する土地からの収入である。彼らが戦場で求める武勇も勲功も、全ては一門を守り抜くだけの実利を得る為のものなのだ。しかし、執権北条を打ち倒し幕府を滅ぼす実働部隊を担った彼らに、後醍醐帝が与えたのは有名無実化した官位や名誉のみ。彼等にとって十分な恩賞には程遠いものであった。
 かくして、新政に集った武士たちの足並みは乱れに乱れた。権勢に取り入って甘い汁を吸おうとするもの、もはや着いてゆけぬとみやこを離れるもの、己の所領に戻って軍備を固めるもの、なお愚直に帝への忠義を守ろうとするもの。
 政を司る者達がその様では、官吏がまともに働くはずもない。
 混乱するみやこを治めるための責務は放棄され、苦しむ民草は見向きもされぬ。後醍醐帝はこれを見て大層嘆かれた。なぜ自分達が悪辣非道の幕府を打ち倒し、かつての栄華を取り戻したのに、武士たちはそれに従わぬのかと。
 その間にも領地の補償を失った武士の不満は募り、政所は慢性的な人員不足のため政道も立ち行かぬ。洛内でも強盗、殺人が横行し、それを止める者たちはどこにもいない。治安は悪化の一途をたどり、怪しげな薬や疫病が広まり、辻を病死者が埋め尽くす。
 人々は亡者のように生気を失って辻を這い。餓えた者たちがその病の肉を食らって死んでゆく。地獄絵図のごとき光景が毎日のように繰り返された。
 王法廃れ、仏法地に落ちたその様を、末世と呼んだものもいるやもしれぬ。
 そんなある日。
 にわかに天に黒雲湧き起こり、宮中は内裏の紫宸殿の屋根上に一羽の怪鳥が姿を見せた。
 その姿は、古今の記録にも見つけることのできぬ異様なものであったという。
 羽先を延べた長さは一丈と六尺。身体は蛇で頭は人。うねる尾は家屋を一回りできるほどに長く、先の曲がった嘴には鋸のような歯を生やし。両の脚には長い距(けづめ)をもち、その先は剣のごとき鋭さを備えていた。
「――いつまで」
 巨大な翼をはためかせ、怪鳥は荒廃するみやこを見降ろしてそう鳴いた。
 憎悪か、悲哀か、あるいは嘆きか。曇天の下に響く甲高い鳴き声は絶えることなくみやこに届き、火花と稲光を伴って人々を震え上がらせた。雲間を裂く雷鳴は御簾を貫き、帝の元まで届いたという。

「いつまで、いつまで」

 幾百年を過ぎてもなお愚かさを改めることもなく、人と人とが争い憎み合う。死と穢れに満ちたみやこの空に怪鳥は鳴いた。

 いつまで。
 いつまで。

 六枚つづりの楡の葉が、風に煽られ、土煙の中へと消えてゆく。
 ぬえどりの、のどよふように哭く叫び。
 正体不明の怪鳥の嘆きは、いつまでもみやこの空に響き続けていた。

 

 

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