十一 椎を拾いて

 

 近衛河原の屋敷に牛車が乗りつけられたのは、治承二年(一一七八年)の秋も深まったある朝のことであった。
 門前に止められた車から降りるのは、ふくふくと太った大柄な男。眉を引き唇には紅も塗った、公卿姿の美男子である。病で政治の表舞台を退いた兄・重盛に代わり、平家一門の棟梁となった屋島大臣、平宗盛であった。
 宗盛はこの年初めの叙任で正二位となり、権大納言、右近衛大将を歴任。隠居後に福原に移った父・清盛に代わり、みやこの平家はみなこの男の支配下にあると言ってよい。
「やれやれ、やっと着いたのかの」
 近衆たちが恭しくかしずく中、じろりと屋敷の様子を見上げた宗盛は厭そうに顔をしかめる。
「摂津源氏の長が、ずいぶんと貧乏臭いところにお住まいであるの。伊豆に若狭にと大層な知行もお持ちであろうに、どこに無駄遣いしておるのだか」
 甲高い声での厭味に、追従の笑いが上がる。家人の許可も得ぬまま、宗盛はそのまま屋敷へと上がり込んだ。
 この宗盛、慈悲深く聡明でありながら勇猛果敢で知られた重盛とは対照的に、弓馬の道などどこかに忘れ、古くからの貴族のようにも振る舞う男であった。院近臣や門院との渉外を得意とし、彼の活躍はもっぱら宮中での政治に傾いている。古くからの公卿にはここ二十年ばかりで躍進した平家の隆盛は鼻持ちならぬものであろうが、それを差し引いても彼への反感は凄まじく、毒舌家で知られる九条兼実などはその意地汚さなどを徹底的に批判している。
 宗盛の傲慢さと一門の権勢をかさにきた振る舞いは多くの軋轢を生んでおり、平家に非ずんば人に非ずの言葉を体現するような男であった。
 その悪評もけして根拠のないことではない。
 そも、洛中において貴族の邸宅を訪ねるのであれば、車は門の手前で辻に停め、そこからは歩いて訪問するのが最低限の礼儀である。それを無視して相手の門前に車を乗り付けるなど、余程の身分差があっても許されぬことであった。
 それを、仮にも摂津源氏の棟梁、正四位の頼政に対して行うこと自体、眉を潜められるような行いである。
「これ、そこな家人。馬場頼政どのはおられるかの。宗盛が来訪したのであるぞ」
 門前の家人を呼び止め甲高い声で取り次ぎを命じる。訪問するのであれば相手の都合を確認してからが当然であり、邸宅に押しかけて配下に出頭を命じるかのような宗盛の態度は、相手の都合などお構いなしという傍若無人なものである。
 平家の惣領たる己が命じるのであれば、それに従うのは当然とばかりに見下したもので、あまりにも礼を欠いていた。
「は、これは右大将殿、畏れ多くも――」
「雑兵ども、頼政殿はおられるか、と宗盛が聞いているのじゃ。答えよ」
 慌てて飛び出してきた授、省が宗盛を押しとどめ、これに答えようとするが、宗盛の態度は一方的なものだった。ぱちりと手元の扇を鳴らし、尊大に言い放つ平家の棟梁に、郎党はただ動けず汗を流すばかりである。
 平家一門の権勢を背にして有無を言わせぬ様子であるが、いかな平家の御大将とて、主の許しなく通したのであれば面目が立たぬ。板挟みになって脂汗を流す授たちの無言が癇に触ったか、宗盛はぎろりと郎党を睨み付けた。
「ふん、名に聞こえる摂津頼政どのの郎党と聞いておるが、礼儀も知らんものが多いようじゃな。良い、お主らは下がっておれ」
「で、ですが――」
「おお、これは宗盛様。このようなむさ苦しいところまで、ようこそいらっしゃいました」
 郎党達を庇うため、頼政は自ら屋敷の門前へと進み出る。余計な諍いで郎党が無用な責めを受けぬようにする、摂津源氏棟梁のいじましい配慮であった。
「なんじゃ、居るのなら居ると言えばいいものを。摂津の田舎侍どもはまともに口もきけんと見えるの」
 一方、宗盛は頼政自身の歓迎を前にもこの態度だ。仮にも一門を率いる長を、まるで下人のように扱う。平家一門の栄華と奢りの体現者のような男であった。
 邸内へと迎え入れられてなお、宗盛はその態度を崩さない。同席している仲綱などには一瞥もくれる様子もなく、手元で扇を弄っては頼政を値踏みするように見下ろす。
「名に聞こえる摂津源氏のお住まいとは思えぬ質素な姿じゃの。宗盛であれば耐えられぬのう。……帝にお仕えする武門としても、ちと飾ることを覚えてはいかがかの、頼政殿?」
「いや、まったくお恥ずかしい。家族が多いゆえ、何かと物入りでしてな。そろそろ隠居でもして楽をしたいのですが、まだまだ働かねばなりませぬ」
 地位に比べて、頼政の近衛河原の邸宅が質素であるのは確かだった。それには別の理由もあるのだが――そんなことはおくびにも出さず、頼政は笑みを作って宗盛に尋ねる。
「して、このような老いぼれに如何様な御用向きでありましょうかな」
 謙るような調子に、宗盛はようやく小さな笑みを見せ、
「なに、ちと挨拶に寄ったまでの事であるよ。ご健勝で何よりのようじゃの、頼政殿。……いやはや、そのお歳でなお現役を貫こうとは見上げた心意気であるな。流石は鵺退治で勇名の聞こえる頼政殿よ。このような父君を持って、御子息もさぞ心強かろう」
 頼政が、清盛よりも十以上年嵩でありながら、なお摂津源氏棟梁にあることへの痛烈な皮肉である。一門を率いる立場は本来ならば仲綱に移って当然のものであり、なお老いらくのまま出世を望む浅ましい性根であると言っているに等しい。実際、頼政の年齢を考えればそれは当然であり、頼政自身も朝夕の勤めは若い頃と同じようにはいかなくなっていた。
「お恥ずかしい限りにございます。老骨ゆえ、お見苦しいところもありましょうがご勘弁くだされ」
 頼政はそれに気付かぬ老いぼれの振りをして、笑顔を作る。
 実情として、摂津源氏と一門を率いているのはいまや半ば以上仲綱である。最近は歌壇でも作を増やし、父譲りの歌才という評も聞こえるようになった。あの毒舌家の九条兼実までもが好意的な評を寄せているのである。
 というのに、もう十年以上も仲綱は嫡男と言う曖昧な立場のまま、頼政を立て、裏方に徹してくれていた。自分には過ぎた息子であると思うばかりである。
 これも全ては頼政の願いである三位への出世を果たすためであった。一門のため、息子たちのため、みやこに残った源氏の未来のため、前例をつくらねばならぬのだ。
「なんとなんと、宗盛を前にそのように謙る事はなかろう。最近は歌会にもお顔を出されぬとあって、寂しく思う声もあると聞き及んでおる」
「最近はすっかりと衰えて、お恥ずかしいばかりであります。息子や娘の方がよほど巧みとなりました」
「これは頼政殿のお言葉とは思えぬ。ご謙遜も度を過ぎると厭味であるぞ。頼政殿にはまだまだお元気でいて貰わねばならぬ」
 ぱちりと扇を鳴らし、ほほほと笑ってみせる宗盛。同時に、彼の言葉は頼政が今の源氏における最後の拠り所であることを如実に指し示していた。侮蔑に等しい言葉を、風と受け流して頼政はわずかに微笑むのみである。
「まったく、最近はみやこの様子も変わるものじゃ。野暮なことではあるがの、父が福原に移ってより、みやこに詰める者にも新しい顔が増えた。頼政殿もご存知であろう。かくいう六波羅でも郎党達が乗る馬にも事欠く有様であるのだ」
「それはお困りのことと思います。何か、お力になることがありましょうか」
「まさにそれよ。宗盛が伝え聞くに、坂東は伊豆に伝手をお持ちの頼政殿が、とても良い名馬をお持ちというではないか」
「はて……?」
 話がきな臭い方へと傾いているのを感じつつ、頼政は老いたふりを貫いて首を傾げてみせた。
 武士にとっての馬は戦力そのものに等しい。いかに優れた馬を持つかが戦場での趨勢を決める事に直結していた。畿内の馬に比べ、広大な大地を駆け伸び伸びと育つ坂東の馬は、持久力、瞬発力、体格のどれをとっても勝っている。体格も一回り半は大きく、長時間の行軍にもよく耐えた。
 さらには弓矢の飛び交う戦場でも物怖じしないことから、坂東の馬は優れた軍馬として各所から求められていたのである。
 馬の供出は摂津源氏の戦力を削り、平家一門に力を供出しろと言う服従要請である。しかし、頼政の直感は宗盛の要求がその程度では済まないことを感じ取っていた。
「いやいや、おとぼけになるとは頼政殿も意地の悪いことであるな。お隠しになっても、この宗盛には聞こえて参るぞ、かの源氏長者の元に素晴らしき駿馬がいるとのう。名を――そうそう、木ノ下とか申すのだったな」
「な……」
 宗盛が告げたその名に、近衛河原の屋敷は凍りついた。
 一同の驚愕を面白そうに見つめ、宗盛はしらじらしくぽんと手を叩いて見せた。そのまま白塗りの顔を歪め、にやにやと頼政と仲綱を眺める。
「そうそう、木ノ下、木ノ下じゃ。たいそう良い馬だそうではないか。この屋敷で頼政殿やご子息が戯れておるという噂を聞いておるぞ。その名、遠く福原の父も耳にしておるほどじゃ。どうか宗盛のもとで引き取りたいと思い、こうして参ったのであるぞ」
「なんと、そのような話がありますのか……」
「これは異なことを申されるのう、頼政殿。まことも何も、知れ渡っていることであろうよ。老いらくの摂津源氏棟梁殿が、たいそうな入れ込みようであると。弓馬の道において名門と謳われた摂津源氏の長老の目に留まったという名馬。鹿毛にて乗り心地、走り具合、またとあるとも思えぬ一品と聞く。さぞ素晴らしきものであろう? ん?」
 扇で口元を隠し、ほほほと笑う宗盛。平家の棟梁は、細めた目の奥から冷徹に頼政を値踏みしていた。その意図するところはただ一つ。

 ――みやこを占める平家の中にただ一つ残った源氏の一門。
 ――兵庫頭源頼政に平家への二心ありやなしや?

 動揺を隠しきれず唸る仲綱の隣で、歯軋りしたくなるのを堪え、頼政は辛うじて表情を繕う。
(……これは、まずい)
 宗盛の真意を測りかね、摂津源氏の長老は懸命に頭を巡らせる。
 一体どこまで知られているのか――ぬえの素性、かつての鵺退治の顛末、最悪、以仁王との関係性が露見すれば、この場で一門が処罰、討伐される可能性すらある。そうなればもはや後はない。いっそこの場で事を起こすしかないと言うのか。
 頼政の頬を汗が伝う。宗盛はと言えば、涼しい顔で扇を弄ぶばかりだ。
「失礼ながら、宗盛卿」
 答えあぐねている頼政の隣から、仲綱が進み出る。
「木ノ下は、あれで気性の難しいものにございます。私とて何度足蹴にされたことか。……躾けようにも気位が高く、ろくに言う事を聞かぬ始末。我等もあまり疲れ果て、いまは若狭の田舎へと送って休養させておりますほど。いかな噂であれど、そのような馬を御一門に献上して、騒ぎとなれば我等の体面は立ちませぬ、どうかお考え直しを――」
「仲綱殿」
 宗盛は大きな咳払いをもって仲綱の言葉を遮った。子供の悪戯を咎めるような棘のある声で、不機嫌そうに眉をしかめ、じろりと仲綱を睨む。
「失礼ながら、摂津源氏の棟梁は頼政殿であろう? のう、それを何じゃ、お主は父君に意見ができる立場であるのかの? 宗盛は頼政殿と話しておるのだぞ。それをただ、居合わせただけの息子が割って入るというのはいかなる了見であるのかのう?」
「ぐ……」
 宗盛の言葉は、暗に、老いらくの頼政がなお地位にしがみ付いているという侮辱も含んでいた。そうした陰険な態度とは裏腹に、宗盛はさも具合が良いとばかりからからと笑うのである。
「……いやいや、つい失敬な物言いをしたの。聞けば、仲綱殿は伊豆の所領に多くの素晴らしき馬を抱えておると聞く。そのうえでなお一頭を手放すことすら惜しむとは……常ならば卑しき気性であると誹られるところじゃが、なに、宗盛は分かっておるとも。名馬木ノ下を離したくないという仲綱殿の執着であろう?」
 口元に寄せた扇を閉じ、宗盛はにんまりと笑みを見せる。
「ほほほ、気性の激しい馬、実に結構ではないか。それを手名付けてこその武者ぶりというものであろう。その様子ではかの木ノ下は、頼政殿もさぞ扱いかね、持て余しておると思われる様子であるな。であればなおさら、宗盛が引き取るに都合がよいというものではないか。のう、頼政殿?」
「…………」
 苦渋の表情を見せる頼政に、宗盛は扇をくるりと広げ、目を細めた。
「ほほほ。まあ、仲綱殿のお気持ちも分かる。一門の重責を負うとなれば色々と苦労も多かろうよ。宗盛もなあ、兄に代わりこうして六波羅を預かる身となって、はじめてその重責に震えておるところであるぞ。先日も不届きな奴原めが、鹿ケ谷にてこともあろうに院を抱き込んで平家を害そうなどという企みを見せたばかりじゃ。小人閑居して不徳を成すとは良く言ったものよのう。有事に備え、帝の御為に宗盛も備えねばならぬ。またいつ、二心を抱く不心得者が現れるとも限らぬからのう」
 じろりと、頼政らを睨んで、宗盛。
 平家がいまの帝である高倉帝を邪魔に思い、間もなく生まれる皇子を新たな帝に付けんと画策しているのは周知の事実である。これによって清盛は帝の祖父となることが確実視されていた。そうなれば宗盛も帝の外戚である。なんと空々しい言葉であろうか。
(……父上)
(逸るな、仲綱)
 拳を握りしめる息子を制し、頼政は静かに吐息した。
「いえ、いくら宗盛様の願いとは言え、できぬ相談です」
 あくまで頑迷なる老人を装って、静かに首を横に振る。
「木ノ下は我が一門に欠かざるもの。仲綱らと同じ我が子です。いかな宗盛卿のお望みとて、お譲りするわけには参りませぬ。いかな黄金を積まれたとて、こればかりはお譲りできませぬ」
 姿勢をただし、しっかと宗盛の視線を受け止め、睨みかえして。無理を通すのであればこの場にて意地を見せるという姿であった。
 決死の覚悟で臨む頼政に、しかし宗盛は涼しい顔。
「ふむ……まったくまったく、これはなんとも憎らしい。いや、まったく羨ましいものよ。たいそう愛されておるのじゃのう、木ノ下は。――ほほほ、そう邪剣にされずとも良いぞ、頼政殿。なにもこの宗盛、道理を曲げ無理を通そうというのではない。ご安心なされよ。御機嫌を悪くさせたのならばすまぬの。……どれ、出なおすとしようか」
 そのまま宗盛は頼政の用意した歓待など歯牙にもかけず、踵を返してしまった。
 牛車が遠く六波羅に去ってゆくのを見届け、屋敷に残された頼政と仲綱は、どっと疲れ果ててその場に座り込む。まったく生きた心地がしなかった。
 やけにあっさりと去っていった宗盛だが、これで話が終わりであるわけがない。
 今日の来訪はあくまで警告。そして、最後通牒なのだ。
「……父上。参ったことになりましたな」
「ああ……」
 何事かと駆け付けてきた兼綱達に答える気力もないまま、深く息を吐いて、頼政は額を押さえる。生温い汗が背中じゅうに広がっていた。
「どこまで気付かれているのでしょうか……まさか、例の件まで感づかれているとも思えませぬが」
「分からぬ。が、平家の惣領が、何の意味もなくあのような脅しをかけては来るまい」
 宗盛はおそらく、頼政とぬえの関係をほぼ正確に把握しているのだろうと推測できた。
 宗盛の妹平盛子は、藤原北家近衛流の嫡流、藤原基実に嫁いでいる。夭折した藤原摂関家の嫡子が、父であったった関白忠通より宮中における秘中の秘、隠されたいくつもの真実について受け継いでいることは疑いようのないことであるし、基実の死後その領地や藤原氏代々の家領、記録、宝物などを東三条殿ごと継承した盛子は、白河殿と呼ばれる摂関家の後継者である。
 宗盛が異母妹を通じて、かつての鵺退治の真実を突き止めたことは想像に難くない。
「親父殿、兄上、いったい何があったのです」
「右大将殿がお越しでな。木ノ下を六波羅に差し出せと仰せだ」
「……なんと!?」
 眼を剥く兼綱に、頼政は呻くように続けた。
「ありていに言えばな、宗盛卿は俺を試そうとしている。今日の来訪はそのためのものだ。いかな事があろうとも平家に尽くし、万が一にも弓引く事などなきようにと仰るのだよ」
 木ノ下――ぬえの存在は、頼政と摂津源氏の武名の根底を揺るがしかねないものだった。
 宮中を脅かし、帝を病の床へと伏せさせたばけもの、鵺を射抜いた名に聞こえる辟邪の摂津源氏、頼政の弓。それが虚飾であったことはおろか、退治すべき妖怪を己が手元で飼い馴らしていたこと――それは、考えようによっては帝への二心を疑われかねぬ行いなのである。
 ぬえと共に暮らすようになって以来、それを努めて意識しようとしていなかった事を、頼政は酷く悔いた。
「すべて、俺の甘さが招いたことだ。……自業自得だな」
 全ては自分の撒いた種だ。頼政は深い自虐の念に襲われていた。歳月や、後悔などで拭い去れるようなものでなかったのだ。あの夜の過ちは、本人すら思いもよらぬ間に、呪詛のように頼政を蝕み続けていた。
 宗盛があっさりと引き下がったのは、頼政の意志を確認するためであろう。頼政がこれを拒絶すれば、宗盛はぬえに関する噂を流布すると脅しているのだ。
 だが、同時にわずかながらの希望もあった。
「恐らくだが、このことを知るものはそう多くない。……少なくとも福原にまでは知らせてはいないはずだ。そうでなければ、摂津源氏を従えることが功績にならんからな」
 この一件、頼政は宗盛の独断であろうと踏んでいた。宗盛の性格からして兄・重盛を意識していることは明白であり、兄に代わって己の優秀さを示さんとする意図が透けていた。
 それに、これが清盛入道の知るところであれば、もっと上手く――頼政自身が、ぬえを手放すことに不満を覚えない様な形で事を納めていただろうから。
 宗盛が頼政の不満を押さえつけるような行動にでたことで、却ってこの要請が宗盛の単独行動であることが露呈していた。
「驕る平家、か……」
 清盛は一代で平氏一門をこの国の中心にまで押し上げた稀代の傑物であったが、その子供たちは皆、彼の才能をばらばらに受け継いでいた。
 一人ひとりを見ればそれぞれ、得意な分野において目を見張る部分があるのだが、一人でそれらを全てこなせる清盛入道の目からすれば、あれが足りぬこれに欠けると、粗ばかりが目につくのであろう。ゆえに彼はいつまでも一門を率いる地位から降りることができず、平家の柱としてその剛腕を振るい続けていたのである。
 後継者の中で特に期待をかけていた重盛が政治への意欲を失い、病気がちとなって以降、平家の継嗣には目立った名が上がらなかった。清盛自身があらたな国造りの枠組みとして福原に滞在するようになって以降、みやこでは宗盛が一門を率いる立場となったが、彼もまた優秀な兄と比較されることに強い劣等感を覚えていたのである。
 表向き、みやこのことは息子達に任せている清盛も、やはり宗盛の手腕には満足いかぬ部分が多々あるとみえ、不満を漏らすことも多いという。いきおい、彼は大陸との交易をも見据える広く進歩的な視野から、なお力強くその辣腕を奮おうとしているのだろうが――そうした父への見えぬ反発が、息子達を憤らせ、殊更に横柄な振舞いへと駆り立てていることに果たして気付いていただろうか。
「ですが、それも時間の問題でしょう。木ノ下を庇って、あの事まで露見してしまっては本末転倒だ。この上はいっそ、あの方の元に……」
「馬鹿を言え、それこそ平家の思う壺だぞ!」
「しかし、ではどうする! どちらに転ぼうと宗盛の利にしかならぬのだぞ」
 頼政が少しでも恭順の態度を崩せば、宗盛は摂津源氏をたちまち押しつぶさんとするだろう。
 だが、宗盛の要求を飲むことは、未来永劫、頼政らが平家に隷属を余儀なくされることを示していた。
 これがいまの平家の在り方だ。平家に非ずんば人に非ず――その言葉通りに、公卿も、院も、武家も帝すらも。その掌中に自在とし、この平安京を、平家の名のままに支配し、この日の元の国を遍く己がものにせんとしている。
「どうします、父上」
 兄弟を代弁し、ひとり問いかける仲綱に――頼政は言葉なく押し黙る。
 ぬえを人質に渡すなど、ありえない。
 しかし、あの『計画』は頼政や摂津源氏一門だけではなく、さらに多くの者たちの運命を左右する重大事なのだ。それに関わる全ての者たちを切り捨てることなど、できるものだろうか?
 議論は夜にまで及んだ。夜が更け、やがて夜が白み始めるまで様々な意見が出たが、結論には至らない。激しく言い争う息子達の横で、頼政はずっと一人、考え込んでいた。
 懊悩が深まる一方で、思考はぐるぐると渦を巻き、袋小路の中に飲み込まれてゆく。
 そして――朝日がゆっくりとその顔を覗かせる頃。苦渋に歪めた顔を見られぬよう、手で覆い、頼政は議論を打ち切るように息子達に言った。
「もう良い。この話はこれまでだ。……皆、もう休め」
 とても納得した様子ではなかったが、息子たちは渋々ながらそれに従う。一様に納得しかねるという表情であるが――それでも、めいめいに腰を上げ、部屋を出ていく。
 一人残る頼政を最後まで案じていた仲綱だけが、じっと父の背中を見つめていた。

 


◆ ◆ ◆

 


 それからも宗盛の要求は再三にわたって繰り返された。あくまで表向きは穏やかなもので、頼政に礼を尽くし、名馬「木ノ下」を求める申し出であったが――その実、頼政はいよいよ後がないところまで追い込まれていた。
 それでもどうにか回答を先延ばしにし、別の方策を模索していた頼政であったが、どこからかそれを聞き付けたぬえは、若狭の所領を抜け出して近衛河原へとやってきたのである。
「頼政」
「どうして来た。こちらは忙しい、お前の相手をしている暇などないと言ったはずだ」
「惚けんなよ。わたしが知らないとでも思ってんのか?」
 はじめ知らぬ存ぜぬを決め込もうとした頼政だが、彼女にしつこく詰め寄られ、終いにはこのまま六波羅に駆け込むぞとまで脅されて、とうとう根負けした頼政は、宗盛がぬえを所望していることを認めざるを得なくなった。
「……そうだ。その通りだ。宗盛卿はお主を所望している」
「っは、馬鹿馬鹿しい。本気でそんな事で悩んでたのかよ、頼政」
「随分あっさりと言ってくれるな」
「くだらないことに執着して、みっともないからさ。で、わたしに秘密にして一体どうするつもりだったんだ。言ってみろよ」
 鼻が触れるほどにぬえの顔が近づき、少女の前髪が頼政の額をくすぐる。
 頼政が答えに窮しているのを見て、ぬえは口元から尖った歯を覗かせ、頼政の背中に飛び乗った。
「ほれみろ。それが考えなしだって言うんだよ。簡単なことだろ」
「駄目だ」
「何が駄目なもんか。優柔不断のまま無駄に長生きしやがって、それで源氏の長老だなんてよく言えたもんだ。なあ頼政、お前の勝手で、仲綱達にまで迷惑をかけていいのかよ。……お前はそんなつまんない事にこだわる男じゃなかったはずだぞ」
「それでも、だ。それだけは出来ぬ」
 背中から、不満げなぬえが頼政の顔を覗きこんでくる。
 自分は今、恐ろしく仏頂面を浮かべているのだろうと頼政は思う。
「わがまま言いやがって、まるで子供だな。わたしを人間の娘なんかといっしょにすんなって言ってるだろ」
「それは違う、お主は――」
「……なあ頼政。わたしは妖怪だ。このみやこを脅かしたばけもの、鵺なんだぞ。それをなんだよ、この世の終わりみたいな顔しやがって。六波羅なんて目と鼻の先じゃないか。別に取って食われるような場所じゃないだろう?」
「違う、それは」
「違わないさ。平家のお大尽のとこならもっとずっと贅沢させてもらえるってもんだ」
 捻くれた物言いは、ぬえなりの配慮なのだと、それくらいのことを察するほどには、頼政もぬえと暮らして長い。だから、頼政は静かに首を振った。
「違う。……お前の居るべき場所は、この近衛河原だ。六波羅などではない」
 一息。さかさまに覗きこんでくるぬえの瞳をまっすぐ見つめ、頼政は静かに口を開く。

 ぬえどりの 片恋ひこがす 雲の間に
 君が為いる 命かぎりに

「……もう二度と、お前を失いたくはない。俺のそばに居ろ、ぬえ」
 詠みあげられたその歌に。
 一瞬、ぬえの呼吸が止まった。
「…………、っ、ば、ばっかじゃないのか、お前!?」
 そっぽを向き、大声で叫ぶぬえ。
 だが頼政はあくまで真剣だ。じっと、ぬえの答えを待つ。
 反らした目線を空に泳がせ、耳まで紅くなった頬を髪で隠して、ぬえはぶんぶんと腕を振り回した。くだらないことを言うんじゃないとばかりに。
「な、なに言ってんだよ、いきなり。いい加減歳くって耄碌したのか、頼政。……ぼけるには早いんじゃないのか? なあ?」
 軽口で済まそうとするぬえに対し、頼政は沈黙を保ったまま、じっとぬえから視線を離さずにいた。それが、心からの言葉であることを伝えるために。
「………~~ッ!」
 とうとう、ぬえは耐えかねたように頼政の背中から飛び降り、その場に降りた。だんッ、と地面を踏み鳴らし、渦巻く感情を、じっと飲み込むようにして俯く。
 そして、長い長い葛藤の末。
「……ありがとね、頼政」
 皺の浮いた頼政の手をそっと押しのけ、小さく俯いて、少女はそれだけを口にした。
 返歌はなく、ただの礼だけ。そうしてすぐいつもの笑顔に戻り、ぱっと顔を輝かせる。
(ああ)
 努めて明るく振る舞おうとするぬえの仕草に、頼政はすぐに悟った。
(……また、振られたか)
 声にならぬ問いに答えはない。ぬえは腕組みをして、大きく胸を反らした。
 そのまま、ばしんと頼政の肩を叩く。
「買いかぶりもいい加減にしろよ、頼政? 宗盛だか大盛だか知らないけど、このわたしが平家のまぬけ連中なんかに好きにさせるとでも思ってんじゃないだろうな。見てろ、あいつら全員まとめて恐怖のどん底に突っ込んでやるさ」
「――だが」
「いいから。このままじゃ仲綱のやつに咎が及ぶかもしれないんだろ。あの堅物、平家の連中にまで頑固一徹に通してるらしいじゃないか。らしくもない。……そんな心配せずに任せといてよ。ってかね、わたしを射殺したやつがそんなしょげた顔するなって!」
 もう一度、頼政の肩を痛いほど叩き、ぬえはけらけらと嘲ってみせた。
「ふん、意気地のない顔してんなよ、頼政。平家の御大将なんてったって、どうせお公家かぶれのぼんぼんだろう。いくら珍しい馬だからって、すぐに飽きるさ。……そうだな、いっそわたしの魅力で骨抜きにしてやるのも面白そうだ。なんだったら、六波羅の連中全員、お前の配下にしてやるってのもいいな」
 そうして言葉を切り、ぬえはくるりと頼政に背を向ける。
「……忘れるなよ頼政。わたしは妖怪なんだ。鵺なんだ。こんなところで家族ごっこなんかしてる方がおかしいのさ」
 そう言い切って。
 ぬえは次の日の朝、止めようとする頼政を振り切り、自ら宗盛の郎党の前に姿を見せ、『木ノ下』として六波羅に連れられていったのである。宗盛はこれをたいそう喜び、摂津源氏源頼政の忠義を褒め称え、頼政に厚遇を与えることを約束してきた。
 ぬえを見送る中、仲綱はひとり、険しい顔を崩さなかった。

 恋しくは 来ても見よかし 身に添へる
 かげをばいかが 放ちやるべき

「…………っ」
 仲綱がそう詠んだ一首の歌を書き添えてぬえに送るのを見て、頼政は天を仰いだ。仲綱だけは、頼政の意図を察していたのだ。ああと呻き、頼政は本当に、本当に自分は詰まらない男になってしまった事を自覚した。
(……みっともない話だ。官位を望んでなお隠居をせずにいる俺よりも、息子の方が余程、一門を率いるに相応しい)
「父上」
 全ては承知の上だろう。それでもなお、仲綱は敢えて頼政に聞いてくる。
「多くは申しません。……ですが、父上はこれで良いとお考えですか。いまでなくとも結構。いつの日か、お答をお聞かせください」
 静かな仲綱の問いに、頼政はもはや反駁する言葉を持たなかった。

 


◆ ◆ ◆

 


 しばしの後。頼政に対して唐突に叙任が行われた。与えられたのは従三位下。これまでまったく音沙汰の無かった、待望の三位への昇叙であった。
 この年も頼政は左大将藤原家定の家に忍び込んだ賊を捕え、春日使として任じられ、中宮御座所への出仕と、七十五の高齢とは思えぬ働きをしているが、それをもってしてもこの叙任は破格のことであった。九条兼実などはこれを「第一之珍事也」と記したほどである。
 この昇進は京に訪れていた清盛入道の推挙によるものであったという噂がすぐに流れた。頼政の詠んだ歌が清盛の耳に止まり、たゆまぬ勲功にも関わらず長らく頼政の官位を四位に留め置いていた事を詫びた清盛が、その礼として推挙を行ったというのである。

 のぼるべき たよりなき身は 木の下に
 椎をひろひて 世をわたるかな

 その歌と言うのがこれだ。
 源氏の名門にあってなお、八幡太郎義家にも摂津源氏の祖・源頼光にも成し得なかった三位叙任と昇進は、一門の中に大きな喜びをもたらした。ことさらに源氏を貶めようとする息苦しい日々の中で、この慶事は源氏一門にとっての久々の喜ばしい出来事だったのである。
「やりましたな、親父殿!」
「おめでとうございます!」
 昇進を祝い、近衛河原で盛大に開かれた宴の中、息子達に、郎党達に囲まれながら、頼政の顔色は優れない。長年の悲願であったはずの公卿の仲間入りすら、どこか上の空で、心ここにあらずといった様子であった。客人の中にはこれを見て、摂津源氏の長老の長年の労苦を思い涙するものもあったという。
「親父殿?」
「ん、ああ、そうだな。これでようやく肩の荷が下りた。……長い間、苦労をかけたな、仲綱」
 従三位への昇進をもって摂津源氏はついに昇殿を果たし、頼政は公卿として正式に認められたことになる。頼政は兼ねてより決めていた通り、叙任後すぐに仲綱に家督を譲り、出家するつもりでいた。もともと、頼政がこの地位を望んだのは平家全盛の世において源氏の命脈を保つためである。官位自体に執着はなく、源氏において三位の公卿を輩出した前例を作ることが目的であった。
 父がその地位にあるという事実があれば、仲綱や兼頼、ほか多くの源氏の息子達も昇進を望むことができる。己をその足掛かりとするのが頼政のかねてよりの大望だったのである。
 しかし――宴の席が終わりになる頃。頼政はいよいよ苦悶を深くし、苦しげに溜息を繰り返すばかりである。呻くように額を押さえるばかりとなった父に、息子達はせっかくの美酒の酔いも醒め、何があったのかと顔を見合わせる。
「……父上、ご気分がすぐれぬ様子ですが、なにか気になることが?」
「違うのだ」
 苦悶を吐きだすように、頼政は呻いて杯を煽る。このように飲めぬ酒を無理して飲む父を、仲綱達は初めて見るのだった。
「違う……?」
「あれは、俺の歌ではない。俺はな、あんな歌を詠んだ覚えもない」
 この昇進のきっかけとなった椎の歌のことであるとはすぐに知れた。しかし、自身の歌でないとは一体どういうことか。仲綱らは頼政の突然の告白に驚くばかりである。
「それは……一体」
「言葉通りだ。お節介な誰かが、俺の代わりにあの歌を詠んで、清盛入道どのの目に留まるような場所に押し込んだのだろうな」
 頼政の言葉に、兄弟は一斉に仲綱を見た。多くの兄弟の中で父譲りの歌才を発揮し、歌壇にも名を上げているのはこの嫡男である。
「いや、待て。違う。私ではないぞ」
「では、兼綱兄さまが?」
「冗談はよせ。俺が歌などからっきしなのは知っているだろう。まだ讃岐がやったという方が信じられる」
 その誰かについては、語るまでもない。
 清盛入道のもとに歌を届けることができ、しかも歌に優れた頼政の真似をして気付かれぬことができる者など、他に誰がいようものか。

 ――たよりなき身は“木の下”に。

 なによりも雄弁に、その歌は誰の手によるものかを語っている。
「なにが、源三位、……なにが、辟邪の摂津源氏か。これが、こんなものが、……俺の望んだものなのか」
「……父上」
 待望の三位、星の位。平家隆盛の中でひたすらに平家に尻尾を振り続け、幾多の源氏の同胞が命を落とすのを黙って見過ごし、ついには家族同然の娘を売り払ってまで得た地位だ。
 酔いの回った濁る目で、頼政は息子の肩を掴む。
 ただひとえに、己への嫌悪を飲み込んで。
「仲綱」
「はい」
「……お前は、俺のようにはなるな。良いか。決して、……決して、俺のようには、なるな」
 血を吐くような頼政の言葉を。
 仲綱は。息子達は、ただじっと聞いていた。

 


◆ ◆ ◆

 


 ――さかのぼること去年の冬。
 伊豆での動乱の話が、みやこへも聞こえてきていた。
 南海の伊豆諸島を治める豪族・工藤茂光が上洛し、伊豆の七島を支配して反乱を起こした者たちの狼藉を訴え、討伐の院宣を願い出たのである。
「皆々様! これは一大事にございますぞ!」
 その首謀者とは、驚くべきことに大島に配流されていた鎮西八郎為朝であったのだ。
 腕の腱を切られ、遥か海の向こうの伊豆大島に流されていた為朝であるが、やがてその傷も癒え、以前にも増して凄まじい剛弓の技を取り戻した。そうして彼は平家の支配に不満を抱く地元の豪族や、絶海の孤島鬼が島に住む怪物のごとき大男たちを支配下に置き、伊豆の独立を目指して決起したというのである。
 あまりのことに院は驚き、宮中は天地がひっくり返ったかの如き騒ぎとなった。公卿たちの評議もそこそこに、直ちに茂光に為朝追討の院宣を下したのである。これにて千人力とばかり、茂光は伊豆へと急行し、伊東氏・北条氏・宇佐美氏ら五〇〇余騎、二十艘もの軍船をもって為朝のもとに攻め寄せたのである。
 伊豆の海を舞台にした激しい戦いの中で為朝は何度も討伐の軍船を撃退したが、多勢に無勢の中ついに抵抗の無駄を悟り、凄絶な最期を遂げたという。
「為朝殿は、その無双なる剛弓を持って攻め寄せる軍船二艘を射抜き、次々と沈没せしめたものの――もはや己の道に極まったものを知り、なんと自ら腹をかっさばいで自害なされたとの由にございます」
「……そうか」
 その最期まで、なんと豪快で凄まじいものであったことか。彼の勇猛な戦いぶりを聞かされ、みやこの公卿たちは震えあがった。遠く伊豆にあってもなお、為朝は古今無双の源氏の英雄であったのだ。
「せめて、あと一年、いや、半年でも時間があれば、私達もお力になれたものを……」
「言うな、仲綱」
 思い返せば、清盛らと轡を並べ、共に争ったあの争乱からもう二十年以上が過ぎている。平家の栄華は旭日の極みとなり、福原に築かれた港は遠く大陸の宋との貿易を始めている。新たな都となるべく発展を続ける福原で、古きみやこで、清盛の息子達がこの国の中心となる一方、源氏の子息たちは坂東の僻地や鞍馬の寺で仏門に入ることを余儀なくされ、絶対の恭順を誓わされていた。
 二度と再起できぬように腕の腱を切られ伊豆に流罪となったはずの為朝が、なおかの地で領主たちを打ち滅ぼし、反抗をつづけていると聞いた時、頼政はまこと彼こそは真の英雄であると思ったものだが――そんな為朝ですら、もはやいまの世に生きるべき道はなかったのだ。
 今の世はもはや神話の、英雄の生きる時代ではない。
 人の敵は人だ。全ての人々は、同じ人同士で争い、抗い、憎み合う。
 討伐されるべきばけものはおらず、あらぶる夷敵もとうに消えた。
 弓を向け合う先は同じ人間、同じ武者たちでしかない。
 人の争い、人の醜さ。その最たるものが己であると、頼政は思う。己の業によって一人の娘をばけものに変え、その怨嗟と憎悪によって多くの人々を災禍に巻き込んだ。あまつさえ、そのばけものを己の一存で匿って、人のように囲っていたのである。
 挙句、そんなぬえを売って得たのが三位の位。これは一体何だというのか。
 源氏一門の誉れ、辟邪の武、摂津源氏の長老、源三位頼政。きらびやかな武名を並べ立ててみても、その空虚さ、あまりの空々しさに、眩暈がするほどだ。
 奔放で、豪快で、生まれる時代を間違えた英雄のようなあの為朝ですら、今の世に抗う事はできなかった。
 では、己は、その生涯に一体どのような始末をつける?
 自問する頼政に応えはなく、摂津源氏の長老の思いは、ただただ深い自己嫌悪の循環の中に飲み込まれていくのだった。

 

 

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